映画の推し事:セクシーで孤独なショーマン エルビス・プレスリーという閃光
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1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロ。貧しい南部の小さな町に、この日、後に世界の音楽と若者文化を変えてしまう“閃光(せんこう)”が降り立った。まるで時代に亀裂を入れるために現れたかのように――。
幼い頃から教会で流れるゴスペルに耳を澄ませ、黒人霊歌やカントリーに心を震わせて育ったエルビスは、やがてメンフィスに移り住み、ブルースやR&Bと出合う。
白人と黒人の文化が交差するその土地で、彼は人種やジャンルの境界を軽々と飛び越え、自分だけの“音”と“リズム”を身体の奥に宿していった。
53年、歴史は動く。高校卒業後、トラック運転手として働いていた青年エルビスは、自分の歌をレコードにして母にプレゼントしようと、ためたお金を手に、サン・レコードへ向かった。
その声を聴き逃さなかったのが、プロデューサー、サム・フィリップスだった。「黒人のように歌える白人が現れれば、俺は億万長者になれるだろう」。そう思っていた彼の前に“答え”が現れたのである。
休憩中、行き詰まった空気を吹き飛ばすように、彼はおどけた調子で「ザッツ・オールライト」を歌い始める。腰を揺らし、リズムを刻みながら歌うその姿に、サムは叫んだ。
甘く震える歌声。腰を揺らす挑発的な動き。全身からあふれ出す野性的なエネルギー。危険なほど自由で、セクシーで、ビートは躍動していた。
テレビは彼の腰から下を映すことを禁じ、動いたら逮捕すると警察は脅した。それでもエルビスの動きは止まらなかった。彼の動きは、誰も見たことのない新時代のリズムそのものだった。
長いもみあげ、ダックテイル、挑発的なまなざし。そして、身体の奥から噴き出す圧倒的なエネルギー。彼は抑圧された時代を突き破る、“自由”そのものの象徴となった。
2022年の伝記映画「エルビス」を手がけたバズ・ラーマン監督は、1970年代初頭の未公開フィルムを発掘し、ライブ、リハーサル、インタビュー、ホームビデオを織り交ぜながら、一人の男の“内側”へと迫っていく。
映画の冒頭、「ツァラトゥストラはかく語りき」の荘厳な響きが鳴り渡る。エルビスとは、アメリカという巨大な国が生み出した、“神話”そのものなのだ。映画はそう宣言するかのように幕を開ける。
映画は50~60年代のエルビスを映像のコラージュによって足早に物語っていく。徴兵を経て国家的スターとなったエルビスは、60年代にはハリウッド映画へとのみ込まれていく。しかし、その成功の裏側で、彼の中の“ロックンロール”は少しずつ窒息していった。
そして68年。エルビスは自らの意思でラスベガスへ向かい、音楽シーンへの劇的なカムバックを果たす。翌69年、ラスベガスのインターナショナル・ホテルで始まったレジデンシー公演は空前の成功を収め、以後76年まで、彼は1100本以上ものステージに立ち続けた。
今回の映画の主軸となるのは、もはや若き反逆児ではない。目撃するのは、名声と孤独、称賛と批判、それら全てを抱えながらも、ショーマンとして生きる成熟した男の姿だ。
甘いマスクに滴る汗。ぬれた長いまつ毛。その奥から観客を見つめる優しいまなざし。艶のあるボーカル。身体の奥から噴き出すリズム。誰にもまねできない体の動き。
だが、この映画が映し出すのは“スター”としてのエルビスだけではない。リハーサルスタジオでは、仲間たちの中心に立ち、全身全霊を傾けて音楽を作り上げていく一人の純粋なミュージシャンとしてのエルビスが映し出される。
バンドメンバーが言う。「エルビスには引力がある」と。その言葉通り、彼の周りにはいつも人が集まり、音楽が生まれ、笑顔があふれていた。
「動くなと言われても、体が勝手に動いてしまうんだ」「昔はトラック運転手だったけど、いつもそわそわしてた。落ち着きがなくて危険だったね」
「兵役で変わったかって? 戦車に乗ってたけど、あれもロックンロールみたいに揺れるんだ」「高校では音楽の授業で落第したよ」「ゴスペルを歌うととても安心する」
エルビスは困ったように笑いながら答える。「自分はエンターテイナーだから言えない」「個人の意見は?」「それも言えない……」
ラーマン監督は「それも言えない」と言う彼の沈黙を執拗(しつよう)に反復して見せる。そして、次の瞬間、流れ出すのが「イン・ザ・ゲットー」だ。
貧困と暴力の連鎖を描き、「ゲットーで繰り返される悲劇を私たちは見て見ぬふりをするのか?」と問いかけるその歌は、政治的発言を避けざるをえなかった彼の返答であり、真摯(しんし)な祈りのように胸に響いてくる。
ご存じの通り、エルビスは海外ツアーをしていない。海外に出られなかったのは、彼を縛り続けたマネジャー“大佐”の事情によるものだった。
それでも彼は、巨大なアメリカという檻(おり)の中で歌い続けた。そして、彼の歌声は国境を越え、多くの人々の魂を揺さぶり続け、史上最も成功したソロアーティストとなった。
映画を見終えた後、彼がふと口ずさんだボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」が胸によみがえる。まるで、自由を求め続けた彼の魂の声のように、今も心の中でリフレインし続けている。
世界中から愛されながら、どこか永遠に孤独だった男。歓喜と悲しみ、自由と祈り、そのすべてを歌の中へ焼きつけた男。エルビス・プレスリー。
彼は、単なるロックンロールの王ではない。時代に亀裂を入れ、人々の魂を揺り動かした、美しい“閃光”そのものだった。(北澤杏里)
📌 Kaynak
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