東アジアの交流が生んだ「飛鳥・藤原」 20年越し悲願、世界遺産へ
「飛鳥・藤原の宮都」が、世界遺産に大きく近づいた。地元自治体の提案から20年。地下に埋もれた遺跡が多く、「わかりにくい」と指摘されてきた。長年の発掘調査の蓄積をもとに、東アジアの交流のなかで古代国家が生まれたことを示す遺跡群としての価値を打ち出し、突破口を開いた。
ユネスコの諮問機関イコモスが「飛鳥・藤原」の世界遺産への登録を勧告したことを受け、地元・奈良県と橿原市、桜井市、明日香村の知事と各市村長は6日朝、県庁で記者会見した。山下真知事は「顕著な普遍的価値が国際的に認められたことをうれしく思う」とする連名の談話を読み上げた。
飛鳥宮跡や高松塚、キトラ古墳など、構成資産の多くが集中する明日香村の森川裕一村長は「歴史遺産の多くが地中にあるため、価値が住民には分かりにくい。それを価値あるものとして考えようという意識が醸成されるまで20年かかった」と振り返った。
地元自治体が世界遺産への第一歩とされる国内の「暫定リスト」候補に「飛鳥・藤原」を提案したのは2006年11月。文化庁は翌年、暫定リストに加えたが、その後の動きは乏しかった。
23年には文化審議会の部会が推薦を見送った。構成資産の保護措置が不十分とされたほか、飛鳥・藤原がもつ価値の精査や、国際的な理解を得るための検討を求められた。
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