晩年に知った水俣病の影 語るきっかけは父の「遺言」 埼玉

📌 Diğer 📰 Mainichi (JP) 🕐 3 saat önce

1956年に公式確認され「公害の原点」といわれる「水俣病」。高度経済成長期に未曽有の被害と差別を生み、救済の訴えは今も続く。

水俣病の公式確認から70年となった5月、埼玉県深谷市で「深谷で水俣病を知る会」が発足した。代表に就いた市内在住の光栄(みつはな)みほ子さん(50)は同月23日、同市高畑の圓能寺(えんのうじ)で約30人の参加者を前に、病気に苦しんだ父と家族の歩みを初めて地元で語った。「水俣病は終わった話ではない」。最近届いた父からの“伝言”が、その一歩を踏み出させた。【隈元浩彦】

「お父さんって、こんなに優しい顔をしてたっけ」。7年前、父が亡くなった。火葬場で棺(ひつぎ)をのぞき込んだ母は、そうつぶやいて大声で泣いた。母の涙を見たのは初めてだった。家族を苦しめ、憎しみの対象でもあった父。その人生の奥に、水俣病の影があったことを知ったのは、父の晩年になってからだった。

光栄さんの父は1938年、日本統治下の朝鮮で生まれた。敗戦で実家のある熊本県水俣市湯堂に引き揚げた。作家の石牟礼道子さんが水俣病の悲劇を照らし出した「苦海浄土」で描かれた地でもある。不知火(しらぬい)海に面した小さな漁村は、後に水俣病の被害が最も色濃く出た集落の一つになった。

父は18歳で県外に出て、東京で母と出会った。水俣出身は伏せたまま、結婚した。76年、光栄さんが1歳のころ、一家は埼玉県内に家を構えた。「ごく普通の家族だった」

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